【地勢】
・新潟市の南東部に位置している秋葉区は、北は新潟市江南区に、東は阿賀野市
に、南は五泉市、田上町に、西は新潟市南区に隣接しています。
・秋葉区は、新潟市8区の中で西蒲区、北区、南区に次ぐ面積(99.38k㎥)で
全市域の約13%を占めています。
・平成17年(2005年)に、新津市・白根市・豊栄市・小須戸町・
横越町・亀田町・岩村村・西川町・味方村・潟東村・月潟村・中之口
村・巻町が新潟市に編入合併して、現在の市域になりました。
・平成19年(2007年)4月に新潟市が政令都市に指定されて、8つ
の区が設置されました。
・旧新津市と旧小須戸町の区域が「秋葉区」となりました。
・明治30年(1897年)、北越鉄道会社の沼垂~一ノ木戸(
三条市東三条)間が開通し、新津駅や矢代田駅も営業を開始しました。
新津駅も開業当初は、小さな通過駅の一つに過ぎませんでした。
やがて岩越線(今の磐越西線)及び村上線(今の羽越本線)の分岐点と
なり、ついに「西の米原、東の新津」と言われ、「鉄道のまち新津」の
始まりとなりました。
・その後、荻川駅などが開業し、鉄道の要衝として新津は発展してきまし
た。
・平成11年(1999年)には、秋葉区内の第一小学校で昭和44年
(1969年)から保存されていたSLを復活させ、現在「SLばんえつ
物語」号として運行しています。
・石油が文字として歴史に現れるのが「日本書記」で「越の国から燃ゆる土と
燃ゆる水が献上された」とありました。越の国が秋葉区の新津地区であった
かは不明ですが、明治時代は全国有数の産油地帯でした。
・大正6年(1917年)には日産12万㎘で、産油量日本一となり、第二次の
全盛期を迎えましたが、その後は産油量も減少し、平成8年(1996年)で
採掘が終了しました。
今でも丘陵地には石油櫓(やぐら)が残り、石油王(中野貫一翁)の住宅や
関連施設などに当時の面影を偲ぶことができます。
・ポンピングパワーとは、アメリカノペンシルバニア州で生まれたシーソーの
原理を利用して石油井戸を動かす装置のことです。明治の終わり頃に、アメ
リカから日本に伝わったと言われています。20~30馬力のモーター一つが
この装置の正体です。
中野貫一翁は、明治40年代にこの地に設置しました。その後、このポンピン
グパワーから生じた動力をもとに、昭和の初期まで約60の石油井戸が動いて
いました。
・秋葉区の農業の基幹産物は、稲作、その他には野菜、果樹、花卉(かき)・
花木園芸などが行われています。特に花については、「花とみどりと石油の
里・新津」、「花と緑の小須戸」のキャッチフレーズにふさわしく、花卉
(かき)・花木園芸の産地として全国的に有名です。
・アザレア、ボケ、サツキ、寒梅を中心とする色鮮やかな花々がまちを彩りま
す。
・秋葉区の花は「ボケ、アザレア、シャクナゲ、サツキ」などです。
日本ボケ展なども開催されています。
・秋葉区内には、いくつかの遺跡が点在していますが、信濃川と阿賀野川に挟ま
れ、区の南部に広がる秋葉丘陵に立地する、弥生時代後期の大規模な高地性環
濠集落の遺跡である古津八幡山遺跡が有名です。
・この遺跡は、弥生時代から古墳時代にかけての変遷や、他の地域との交流の実
態などを知る上で重要な遺跡として評価されています。平成17年(2005
年)7月に国の記念物(史跡)に指定されました。本市の国指定の史跡とし
た、菖蒲塚(あやめつか)古墳(西蒲区)、旧新潟税関(中央区)に次いで
3番目となります。
・平成18年度から平成23年度にかけて、竪穴住居7棟・環濠などの復元整備
工事を行いました。
平成24年春に古津八幡山遺跡の麓に出土品の展示品や体験活動を行うガイダ
ンス施設「弥生の丘展示館」と併せ、「新潟市古津八幡山遺跡歴史の広場」と
して暫定オープンしました。
平成25年度から新潟県最大級の古津八幡山古墳の復元整備工事が始まり、
平成27年春に全面オープンしました。
・秋葉区は、東に阿賀野川、西に信濃川、北には小阿賀野川、区の中央には
能代川・新津川が流れ、南には秋葉丘陵が広がる自然豊かな地域です。
・広大な秋葉丘陵には、いくつもの公園や遊歩道が整備されており、四季折々に
森林浴やバードウオッチングなど市民の憩いの場として、親しまれています。
・特に秋葉公園は、秋葉丘陵の中でも代表的な公園です。眺望が開ける丘陵地を
活かして、休憩場所、展望台、アスレッチック、運動広場、キャンプ場、野外
音楽堂など野外活動のための魅力的な施設がたくさんあり、これらは遊歩道な
どによって結ばれ、広い範囲を自由に散策できるようになっています。
・秋葉公園のさくら、夕日に包まれた阿賀野川、野外音楽堂、太陽がさす森林、
白玉の滝。